そらるという「歌い手」と、オタクのわたしと10年という時間
わたしが初めて「歌ってみた」という文化に触れたのは、2011年の秋の頃だった。
当時ボカロ曲というのは、今ほどメジャーではなかった。給食の時間に放送委員が音楽を流すコーナーなんかで紹介された日には、クラスカースト上位勢の男子生徒が「なんだこの曲?!気持ち悪!」みたいなことを騒ぐ感じのジャンルだった。
なんかまあ、とりあえずクラスの端のキモい奴が聞くやつだからそう叫んでおけ、みたいな。今となってはくだらない話だが、そうやって、何かを攻撃することで自分の価値を確立することしかできなかった幼い自分たちが、何かにつけて一旦否定するにちょうどいい草花みたいな立ち位置だった。
今や10年このコンテンツを貪っているオタクも、中学時代は「この機械音の何が良いんだろうな」と、表だって言うことはなかったがそう思っていた。高校へ進学し、久しぶりに祖父母の家へ伺い、従兄弟がPSP版のDIVAを持っていなければずっとそう思っていたかもしれない。
わたしは太鼓の達人が大好きだった。見たことのないリズムゲームにたちまち興味を示し、祖父母の家にいる間中DIVAに没頭した。
その中で、ひと際好きになった曲があった。
ワールドイズマインだ。
【世界で一番お姫様~】という印象的な歌詞。残るメロディー。
祖父母の家を離れ、DIVAがなくなった。その後も私はずっとこの曲のことを考え続け、ついに検索した。
『世界で一番お姫様 ボカロ』
と、ありがちな単語で検索をかければその動画はすぐに出てきた。
そして関連動画に、これまたものすごく再生されている動画を見つけた。
「歌ってみた」。
youtubeでよく見るあの、カラオケ動画のことだろうか。ただのカラオケがどうしてこんなに伸びているのだろう、と、気になって再生した。ヘタだったらすぐブラウザバックしようと思った。
気づいたら、4分終わっていた。
最初のワンフレーズで衝撃を受けた。ニコニコ動画にはこんなに歌が上手いひとがいっぱいいるのかとびっくりした。
もっと聞きたい。わたしはうささんの動画で知っている曲はないかとマイリストを漁った。
そして、DIVAで知った曲を中心に、歌ってみた動画を漁るようになった。
■
そうしてひと月ほど経ったとき、わたしは運命の出逢いを果たした。
そらる、と名乗るその男の歌声に、わたしはびっくりするほど心惹かれた。
かっこよくもあり、艶やかでもあり、無機質を感じさせるのになぜか温かみもある。耳にするりと入って、柔く残っていく。男声、と偏に銘打っていいのかわからない、不思議な声のひとだと思った。
──ああ。このひとの歌声、めっちゃくちゃに好きだ。
それから、片っ端から動画を聞いた。珍しく、知らない曲も聞いた。どれほど動画を再生しようとも、その声について上手く言葉にすることはできなかった。
好きだと思う気持ちは、増した。
思えば音楽というものは常にテレビなどで親しんできて、流れる曲や歌詞に共感することは多々あれど、歌声に注力することは少なかった。
「歌ってみた」という、同じ曲をたくさんの人が歌う文化に触れて、初めてわたしは「声」という才に触れたのだと思う。歌うひとによって、曲というものはまったく違う印象を受けるのだ。
その中でとびっきり印象深く刺さったのが、そらるさんだった。
文章にすればそれだけのことだが、高校生のわたしにとってもう、その出会いはまるで物語にでもなりそうな勢いで。天と地がひっくり返って、革命が起きたような気分だった。
皆が好きなミュージシャンにJ-POPアーティストやアイドルを挙げる中、わたしの好きなミュージシャンは「そらる」になった。
いやもう、誰?
誰? なのだ。友達に言っても。
「ニコニコ動画ってサイトに歌動画を出してて……」
「え、素人ってこと? 素人のライブに行くの?」
「………行きまあす………………………」
言い方は悪いが、当時の歌い手という存在は「人の作ったボカロ曲を歌ってるだけの素人」であった(いや、今もそうなのだけど)。上ではあえてミュージシャンと書いたが、そう銘打つのはおこがましいような。そんな感覚があった。
あまりいい気を持っていなかった人もいっぱいいた。まあ人のお株で再生とってると言われたらそれまでだから、反論しようがなかったが。
おまけに素人の歌を素人が聞いてるわけだから、言いたい放題やりたい放題だ。「ミックスが上手いだけ」という文言を彼の動画で山ほど見た。矢印コメントで反論などはしたことないが、内心一揆でも起こしたろうかと思うほど腹が立ち傷ついていた。
だってうまいとか下手とかそういう話じゃないんだもん、感情って。そうだと思わないか?! ……振り返れば「わ、若い~~~~~><」でカタつく死ぬほど恥ずかしい記憶だが、好きな人を無下にされるってやっぱ嫌。未だに覚えているくらいに。
ダンガンロンパ……絶望性:ヒーロー治療薬………ウッ、古傷が…………
更に、一歩インターネットを出たら誰にも伝わらない存在になる。わたしが天変地異レベルで衝撃を受けた存在の小ささを思い知るわけだ。
もうなんだか、どこにも味方なんかいないんじゃないかと。
素人の歌を聞いて素人が感動して、勝手に喜び勝手に怒り勝手に傷つく。とんでもなく滑稽な絵面だと思う。
そこまで、憑りつかれるように誰かの歌を好きになったのは、初めてだった。
わたしにとって、彼は──どうしようもなく心揺るがす歌声を持つひと、で、在り続けた。
そうして彼の歌を聞き続けて、10年が経った。
わたしは社会人になり、彼はインターネットを代表する歌い手になった。
なんと昨日国立代々木体育館でライブをした。
アイドルマスターsideMと同規模の会場?!?! 嘘ォ?!?! デカすぎではァ?!?!
それはそれとしてライブは最高でした。夜明けと蛍は天才だっただろ。ユラユラも大好きだから毎年ありがとう。
アルバムもいっぱい出た。ボカロPが書き下ろしてくれたオリジナル曲もいっぱい出た。そらるで検索かけたらカラオケに出てきて、『キミノメヲ』のJOYSOUND導入で大喜びで歌いに行ったのが目じゃない。
もう、人の曲を歌うだけの男じゃなくなってしまった。ポケモンを始め、映画やアニメの主題歌もいくつか歌った。
ポケモン……えっ、あのポケモン?! 目玉出るて。そんな大きな仕事を歌い手なんぞがやって大丈夫なんか……とリプライを見れば、お祝いだらけだった。
10年前じゃ、とても考えられない光景だった。
インターネットの普及によって、時代は変わった。インターネット発の音楽や歌手がめきめきと頭角を表して、メディアが注目するコンテンツになった。
関ジャニ∞が取りあげるなんて10年前誰が思ってたよ。好きな歌い手と村上信五が対談する絵面ひっくり返るがな……
彼の立ち位置も変わった。より沢山の人に愛され、聞かれる歌声になった。インターネットをきっかけとした歌手の、最先端を行くような人になった。
わたしが好きになった時点でかなり再生数を持っていたひとだったが、正直、何がきっかけでここまで爆発したのか10年追っていてもよくわからない。気づいたら滅茶苦茶ファンが増えていた。ほんとにそうなのだ。
なんかスカイツリーでコラボカフェとかやってたし。歌い手のコラボカフェって何?
大きくなり過ぎて、寂しいとかはないが困惑することはある。これはわたしが孤軍奮闘の域で応援していた(気分に勝手になっていた)存在だったものなのか? 壮大な夢なのでは?!
親子でライブ行く人とか見かけた日には、家族で触れるコンテンツなのこの男?! マジで?! とか未だに思う。老人オタク特有のインターネットコンテンツを両親に話す気になれないアレになる。
そもそもあの頃彼を推してた人に子供が生まれてる場合もあるなんてそんな
一方、わたしは何も変わらない。毎日インターネットの海を彷徨い、ニコニコ動画で好みの素人の歌声を漁るだけの冴えないオタクだ。
今まで、色んな「歌い手」の動画を巡った。100再生~100万再生まで、この10年ずっと、歌ってみたというジャンルに全身を浸からせて生きてきた。そして、これからも新しい歌声を求めて、好きな曲のタグ検索をかける日々は続くだろう。
けれど──きっと、彼ほど惹かれる「歌」に、わたしは出会えないのだと思う。
彼の動画がアップロードされて、その歌声に触れるたびに、そう思う。
「素人が趣味で歌っている」という事実は、「責任などひとつもない」ことの裏返しだ。
彼以外にも好きな「歌い手」はいっぱいいたが、10年以上活動を続けてくれた人などほんの一握り。Twitterで生存確認できる、過去の動画が見返せるなら全然マシで、動画がすべて消失するとかウン年何も音沙汰がないとかザラに起こる。
「歌ってみた」という気軽なコンテンツは、好きが簡単に生まれ、失われていく。
その中で、ずーっとずーっと、飽きることなく歌い続けてくれた。
そんな、当たり前のようで難しいことだけで、ありがとうって思う。だって、わたしにとってこの歌声の代わりはいないから。
いなくなられたら、哀しいから。
歌声が好きだから、ゲームをやっているところや雑談しているところにはあまり興味がない。これは昔から思っていることで、だから、以前から寝ずにゲーム配信などやってはいたけれど滅多に見なかった。今も見ていない。
でも、好きなことを好きなようにやることが、歌へのモチベーションにも繋がっているなら何よりと思う。そういう部分も含めて好きな子と、一緒に楽しんでほしいと思う。
わたしはわたしなりに、「歌い手」としての彼を、ずっと好きでいる。
アルバムが出たら買って、ライブがあったら行く。歌声に触れ続ける。
触れ続けたい。
彼が歌うのが好きで、ずーっとずーっと歌ってくれるなら。わたしはそれを、聞き続けるだけの数多の一だ。
どうかこれからも彼が、そんな一の塊に愛されまくって、インターネットで歌うことを楽しいと思える日々でありますように。
そう、願い続けている。